トップリーグ元年総括「日本ラグビーは変わったか」-Back to 2004 | ラグビージャパン365

トップリーグ元年総括「日本ラグビーは変わったか」-Back to 2004

2013/10/01

文●永田洋光


トップリーグが創設10年して、大きくリニューアルを果たした。まずは試合方式。2ステージになり試合数も91試合から121試合に増えた。各チームはこれまで以上に1試合1試合に凌ぎを削る事が要求され、フィジカル勝負の様相を呈している。

今回のアーカイブズは、永田洋光氏がトップリーグ元年となった2003年を総括して、トップリーグが日本ラグビーにもたらしたもの、そして残された課題を深く考察した2004年発表の作品。10年たった今でも相通じるものがあるのは日本ラグビーの現状を明確に映しているといえよう。2019年にむけて、さらなる日本ラグビーの復興を掲げる今こそ一見の価値があるこの作品を、もう一度多くのラグビーファミリーにご覧いただきたい。



雀聖・阿佐田哲也が麻雀に関して遺した膨大な著作を通じて言い続けたことがある。

「流れが悪い時には動くな。見(ケン)を決めろ」

しかし、ラグビーは動いた。右肩下がりの観客動員数。観客の高年齢化。競技人口の減少――そんな逆境から起死回生を図るべく、ジャパンラグビー・トップリーグを創設した。従来の東日本、関西、西日本の各地域社会人リーグから精鋭12チームを選び、全国規模のリーグ戦展開を決断したのである。


掲げた理念は4つ。
・トッププレイヤーの強化
・ラグビーの水準向上
・ラグビーファン拡大
・企業や地域との協働によるスポーツ振興

だが、ワールドカップで日本代表がそれなりに健闘し、強豪国と競った試合を戦っても、負けは負けだと雑誌やテレビは大きく取り上げてくれない。高校ラグビーの地上波テレビ中継は激減した。

果たしてラグビーは雀聖の箴言(しんげん)を覆すことができるのか――?

 

トップリーグ初年度を終え課題として残ったもの

2004年のトップリーグカンファレンス

2004年のトップリーグカンファレンス

1月25日、神戸ウィングスタジアムでNECを31-21と破って、記念すべきトップリーグ初代王者となったのは神戸製鋼だった。11試合を戦って通算成績9勝2敗勝ち点47。同日、大分スタジアムでは自動降格の瀬戸際にいる近鉄とサニックスが対戦。近鉄が45-42で勝って入れ替え戦に残留の望みをつなぎ、サニックスは2勝9敗で最下位に終わった。トップリーグでは1位から8位までが無条件でリーグ残留。9位、10位は下位リーグから勝ち上がってきたチームとの入れ替え戦に臨み、11位、12位は自動降格となる。この厳しい規約に危機感を煽られて、リーグ戦終盤は好ゲームが続いた。

9位のリコーから11位のセコムまでが3勝8敗。上位を見ても9勝したのは神戸製鋼のみ。2位の東芝府中から4位のサントリーまでが8勝で並び、勝敗に関係なく4トライ以上とった場合や、7点差以内の負けに与えられるボーナスポイントの差が順位を分けた。全勝や全敗はもちろん、1勝しかできないチームもなく、懸念された100点ゲームも完封負けもなく、初年度は終わったのである。

「ゲームのレベルは確かに上がりました。個々のディフェンス能力や、反則しないで守る意識が非常に高くなったと思います」
やはり25日、東京・秩父宮ラグビー場で東芝府中対サントリー戦の笛を吹いた桜岡将博レフェリーは初年度をそう総括した。

「どんなに一流の外国人選手でも簡単には技けない。それがレベルアップの証拠」
と言うのは、昨年のワールドカップ日本代表の強化委員長を務めた宿沢広朗・日本協会理事だ。「トッププレイヤーの強化」と「水準向上」は確実に達成されたのである。

「内容的に各チームの力が拮抗してきた。現在、トップリーグのコーチをライセンス制にして、代表監督の意図が各チームに浸透するよう制度化を進めているが、それが実現すれば合宿を行うよりリーグを戦うことで選手のレベルを上げることができる。リーグの活性化が、ジャパンの強化につながるわけです」
これは真下昇・日本協会専務理事の総括。言葉の端々から、初年度のゲーム内容が日本協会が企図したリーグ活性化→代表強化という構想に弾みをつけた手応えが感じられる。

だが、初年度の結果だけを見て、そこまで話を広げるのは性急に過ぎないか?

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